大学を卒業後、僕は28歳にして早くも三回目の転職活動をしていた。当時の僕の仕事に対する価値観は子供じみたもので(今でもそうだが)、給料や安定性・将来性は二の次、とにかく楽しいことが最優先といった感じだった。そのため前職、前々職と事務色の強い仕事をしていた僕は、単調にならず尚且つ適度に体を動かせるような楽しい(?)仕事を探していた。
そんな中ハローワークの求人で見かけたのが株式会社モア(仮名)という会社で、俗にいう便利屋さんのような事をしている会社であった。書類選考もなくいきなり面接ということだったので、具体的な仕事内容を聞くだけでも取り敢えず行ってみるかという軽い気持ちで応募した。
面接に行くとモアはまだ小さな会社なようで、50歳くらいの割と若作りな感じの女社長が直接応対してくれた。社長はとにかくハキハキとした喋り方で、まくしたてるように会社の事や業務内容、とにかく人手が足りなく困っていることなどを説明してくれた。僕がモアの面接を受けた時期は丁度夏場真っ盛りだったこともあり、お客の依頼内容としては庭掃除や剪定、木の伐採などがメインになるとのことだった。社長はとにかく人手が欲しかったようで、やってみて合わなければそれはそれでいいから、とりあえず来てみてくれないかという提案をしてきた。話を聞く限り色々な経験が積めそうで、社長が好意的に接してくれたこともあり、僕はその提案を受けることにした。
そして転職初日。基本的に仕事は二人一組で行うことになっており、僕の記念すべき最初のパートナーは鈴木さん(仮名) という48歳の男性であった。鈴木さんは身長170センチくらいの痩せ型で、色黒く目鼻立ちのはっきりした、少し掘りの深い顔立ちだった。社長曰く「見る角度によってはハンサムに見えるのよね。」とのことだった。鈴木さんはお酒と煙草が大好きなせいか声はしゃがれ、頻繁にむせるような咳をしていたため他の同僚から「結核じゃないの鈴木さん。」といじられることがあった。またなぜか基本洗濯は水洗いだけのようで、どうしても作業着の臭いがとれず、女社長から無言でファブリーズをかけられるというシュールな光景を目にした事もあった。
そんな少し変わった鈴木さんであったが性格は社交的で、一緒に軽トラで現場に向かう途中、気さくに色々な話を聞かせてくれた。鈴木さん曰く自分は元大手商社の優秀な営業マンで、年収は1000万近くあったのだが家庭の事情で辞めざるを得なくなり、今のモアに入ったとのことだった。どうやら奥さんと離婚した際に財産分与で揉めたらしく、未だに裁判が終わっていないらしい。また話の中で特に印象的だったのが、鈴木さんは
「男の価値は生涯年収で決まる。俺は前職で二億◯◯(←忘れてしまった)円稼いだから、死ぬまでにあと◯◯円稼がなくちゃ駄目なんだ。」
という強い考えをもっているということだった。僕は鈴木さんがしてくれる様々な話について色々意見もあったのだが、実は内心それどころではなかった。なぜならこの人の運転、めちゃくちゃ危ない。会社を出発してから数十分の間に、既に三回クラクションをならされていた。急停止・急発進は当たり前で、中央線のど真ん中を フラフラと走ったりしていた。僕は運転を変わりたかったが、入社初日からそんな事を言い出すのも失礼かと思い、我慢してヒヤヒヤしながらそのまま助手席にのっていた。
何とか無事に現場である一軒家のお宅に到着し、40代くらいと思われる女性のお客さんに挨拶を済ませると、その日最初の作業がはじまった。依頼内容は5~6mの木の伐採一本。木の枝が隣の家の敷地にはみ出してしまっているので、苦情がくる前に木の根本から切ってしまいたいとの事だった。鈴木さんは僕に
「◯◯(←僕の名字)ちゃん、初日だし適当に見ててよ。俺が木に登って上から徐々に枝を落としていくから、落ちてきたやつを軽トラの荷台に積んでいっちゃって。」
と言うと、ノコギリを片手に颯爽と木に登っていった。その後ろ姿はプロの植木職人さんといった感じで、とても頼もしく見えた。
伐採した木はかなりの重量になるのだが、今回は会社で引き取って処分するとの事だったので、僕は軽トラを木のすぐ近くまで移動させ、言われた通りに落ちてきた枝などを荷台に乗せていった。作業は順調に進み、残りはあと木の太い部分のみとなった所で、鈴木さんは道具をノコギリから全長50cmくらいの電動チェーンソーに変えた。
そして事件は起きた。
鈴木さんが電動チェーンソーを使いはじめてからしばらくたって、僕は水分補給のため一度軽トラの中に入った。助手席に座り水筒にいれたスポーツドリンクをグビグビと飲んで一息ついていると、なぜか急に
「ヴァーーーーーーーーン!!!!」
という聞いたことのない音と共に右サイドミラーが割れ、次に
「ヲアアアアアァァ~~~!!!!!」
という獣の叫び声らしきものと共に何かが頭上、つまり軽トラの屋根に落ちてきたのを感じた。音だけでなく衝撃も凄まじかったため、一瞬パニックに陥った僕だったがふと我に返り、慌てて車の外に飛び出した。
すると軽トラの屋根の上には腕から血を流しもだえる鈴木さんの姿があり、サイドミラーを叩き割った物の正体はどうやら鈴木さんが落とした電動チェーンソーであることが分かった。
僕が
「鈴木さん大丈夫ですか!?」
と声をかけると鈴木さんは何とか自力で動けるようで、車の屋根から出血した左腕を抑え、半泣き状態でわめきながら降りてきた。
「痛ァ!!チェーンソーひっかけちまったァアアアア!!あああああ止まらない!!!しゅ、出血多量!きゅ、救急車!!救急車呼んでくれ!!!ああもうダメだ・・・!親父!親父を呼んでくれ!!」
と死ぬ気満々で叫んでいた。
あまりの大きな声にお客さんも家から飛び出してきて、血まみれの鈴木さんを見るなり
「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
とこれまたかなりの大声で叫んだ。
実際、鈴木さんの左前腕部からはそれなりの出血がみられたが、長袖の作業着の上からチェーンソーを引っ掛けたことが幸いして、どうやら骨に達するような深手の傷は負っていないようだった。当然命に別状はない。
すぐに冷静さを取り戻したお客さんが家の中に戻り救急車を呼んでくれ、救急車を待つ間僕はとりあえず止血してあげようと考えた。僕は
「鈴木さん、止血しましょう。タオルで縛るから腕出してください。」
と声をかけたのだが、相変わらず鈴木さんはパニック状態で聞く耳をもたず
「親父ぃ~!親父ぃ~!」
とわめき散らすばかりだった。何度か丁寧に声をかけお願いしたのだが、全く言うことを聞かない鈴木さんにいい加減僕も切れてしまい
「いいから腕だせよ!血とめるから!」
と丁度20歳も上の先輩に入社初日にしてタメ口を聞いてしまった。タオルできつく縛ったあと、それでも
「血がとまらない!痛いよ~!もうだめだ親父~!」
と繰り返す鈴木さんに対し僕は
「頭の上に腕あげときな。少しは血おさまるから。いい加減うるさいよ!」
と軽く暴言まで吐いてしまった。(ちなみにこの応急処置が正しかったかは不明。)
それから20分ほどして、救急車が到着した。救急車に乗り込む際に鈴木さんが
「親父に電話してくれた??」
と言ってきたので、僕は
「いや番号知らないですから。」と答えた。
搬送先の病院を聞き救急車を見送った後、僕はその場に残り後片付けやお客さんへのお詫び、社長への報告を済ませた。残された僕一人だけでは後に控えた現場を周ることもできないので、結局鈴木さんが運ばれた病院に向かうことになった。
僕が約1時間半ほど遅れて病院に到着した頃には、鈴木さんの腕の治療は既に終わっており、案の定大事になるようなケガではなかったようで安心した(全治三週間)。しかし、病室に行くとまた鈴木さんが騒いでいる。
「看護師さん!なんで服切っちゃったの!これじゃもう着れないじゃない!」
治療の際ボロボロの作業着を脱がす手間を省き、勝手に切られてしまった事に腹を立てていたようだ。
「鈴木さん、もういいから。」
となだめ、労災の手続きなどを済ませ病院を出た。それから会社に戻り、その日はそのまま家に帰れることになった。
家に帰り一息ついた頃、鈴木さんから携帯に電話がかかってきた。
「○○ちゃーん今日はありがとうね。〇〇ちゃんは命の恩人だよ。あのさ!今から飲みに行こ!!」
現在僕は安定・安全な職を求め四回目の転職活動をしている。
おわり